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古代の疫病?天災とデマ

2021年2月

 新型コロナウィルスの感染拡大が世界中で歯止めがかからなくなってきた2020年の初夏、驚くようなニュースを目にしました。欧米で5Gの携帯電波がウィルスの感染を加速するとの噂を信じた人が、携帯電話の基地局を破壊する事件がおこったという報道でした。疫病や天変地異が引き起こす社会不安には、このような噂やデマ、フェイクニュースの拡散がつきもののようです。

 天平9年(737)に日本列島を震撼させた天然痘とみられる疫病の大流行は、実に致死率が25~30%、和泉国に至っては45%近いと推算されています(参考文献(1))。天平9年(737)、4月に藤原房前が病没すると、7月中旬から8月初旬という短期間の間に、相次いで麻呂、武智麻呂、宇合が天然痘に罹患して亡くなってしまいました。この藤原四兄弟は、神亀6年(729)に長屋王に罪を着せて自刃に追いやった黒幕ですから、この疫病流行が長屋王の祟りだとの噂が広まっても不思議ではありません。

 「続日本紀」は、もちろん、そんな噂には触れていません。しかし、天平8年(736)から天平10年(738)頃にかけて、光明皇后は熱心に写経を行わせ、聖武天皇は長屋王の子供達に位階を授けるなど、名誉回復に努めたとされています(参考文献(2))。ところで、平城京の人々は、長屋王が冤罪だと知っていたのでしょうか。

 天平10年(738)7月、大伴子虫という人物が、中臣東人を刀で斬り殺したという記事があります。子虫は長屋王に仕えていた人で、東人は長屋王を裏切り、事実を偽って告発した人物でした。たまたま、この時、東人は口を滑らせたのか、長屋王の変の裏話を子虫にしゃべってしまったようです。激怒した子虫が、東人を斬り殺したというのが事件の顛末です。このことから、天平10年(738)の時点で長屋王の冤罪は、周知の事実になっていたことがわかります。

 平城京の旧長屋王邸付近では1000点近い灯火器がみつかり、燃灯供養の痕跡と考えられています(写真)。燃灯供養とは、現代の万灯会のように、たくさんの灯明皿を並べて明かりを灯し、僧侶が読経を唱える仏教行事です。見つかった灯火器は、一緒に出土した木簡の年紀から、天平10年(738)頃に行われた可能性が高いと考えられます。このころには、すでに疫病はおおむね収束しているはずですが、なぜ、この時期に大規模な燃灯供養をおこなう必要があったのでしょうか。私は長屋王の祟りとの噂を鎮めるために、光明皇后がスポンサーになっておこなった燃灯供養ではないかと考えています。

 また、平安時代には菅原道真が政争の末に失脚、失意のまま大宰府で亡くなると、この失脚劇に加担した人物が突然死し、平安宮の清涼殿に雷が落ちるなどの事件がおこりました。さらには、干ばつや洪水、疫病などの天災が相次ぐと、人々は道真の怨霊が祟っていると噂するようになりました。この祟りを鎮めようと、道真を天神として奉ったことはあまりにも有名です。

 天変地異や疫病の原因が祟りであるとの噂は、現代的感覚でいうと明らかにデマでフェイクニュースとしか思えませんが、当時の人々にとっては、真剣な原因追求だったのでしょう。それにしても、テレビもインターネットもない時代でも、社会不安に合致するような噂が浸透するのは驚くほど早いようです。現代人の知識や技術をもってしても疫病や天災は避けられませんが、情報網を高度に発達させた今日、こういった噂による人災は、一人一人が冷静になることで防ぐことができると信じたいものですね。

 

参考文献

(1)吉川真司2018『天皇の歴史2 聖武天皇と仏都平城京』講談社学術文庫

(2)寺崎保広1999『人物叢書 長屋王』吉川弘文館

 

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(写真)平城京で見つかった燃灯供養に用いられた灯火器。

(都城発掘調査部考古第二研究室長 神野 恵)

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